コントユニット青点滅の日誌

青点滅の主催、ワカバヤシが書くブログです

あの時僕は『漫才』が上手くなりたかった

f:id:aotenmetsu:20190727232336j:image

 

僕は、過去に少しだけ漫才をやっていたことがあります。大阪にワッハ上方という施設があって、そこで開催される「超がつくほど若手のお笑いライブ」に出ておりました。

 

もちろんそこに出ていた芸人たちは、基本的には「売れる」ことを目指してやっているわけですが、9割以上の芸人が既にお笑い界から去っています。

 

僕も去った人の一人。

 

とは言え、もともと、僕はテレビ等で売れたいからライブに出ていたというよりも、なんか楽しそうだからという理由だけで舞台に出ていました。正直、お笑い界の厳しさもわかっていたつもりだったので、売れるなんてムリだろうと。

 

当時、そのライブで知り合った人とコンビを組むことになり、漫才をやっていました。その相方は「プロにならなくていい。面白いことがしたい」という人で、なんとなく舞台に臨む姿勢が合致していたのでやり易かったです。

 

でも、そんな気持ちもどこへやら。

 

素人ながらお笑い活動を続けていると、『プロ』の世界に惹かれていきます。話し合ったわけじゃないけど、相方も同じようなことを思ってたんだと思います(のちに彼は吉本の所属芸人になり、今も続けているので)。

 

『プロ』という世界を意識したとき、圧倒的に自分の芸人スキルが乏しいことを再認識しまして、僕は表舞台ではなく裏方として『プロ』を目指そうと思ったのです。東京に行って放送作家の道を目指すことにしました。

 

結果として、圧倒的に裏方の方が合っていたので、その決断は間違ってなかったんだと思います。あの時、何かの間違いでお笑い芸人を続けていたらと思うと、ゾッとします。

 

ただ。

 

当時の僕は、漫才が上手くなりたかった。でもなぜだか、漫才を続けることと、お笑いの世界をプロとして目指すことをごっちゃにして考えてしまい、あたかも自然と漫才をやめちゃいました

 

放送作家をやりながらでも、たしなみとして漫才をやることは出来ただろうし(相方がいたかはわからんけど)、漫才が上手くなりたいという気持ちを勝手に閉じちゃったのは勿体なかったなぁと思います。

 

草野球や、趣味でサッカーをやっている人と同じように、お笑いも趣味でやり続けていれば良かったかもしれない。漫才が上手い人ってカッコいいし、漫才で新しい概念を生み出す人ってカッコいい。

 

いまの青点滅は、プロやらアマやらそういう概念ではなく、面白いことがしたいと思っている人達が演じているので、とても、健康的でいいなぁと思います。